ドラマを大きく分けると、戦前&戦中時代が前編。雑誌社時代が後編。
前編は見てる側が「どうしたもんじゃろうのぅ」と頭を抱えたくなるヤバめな印象でしたが、後編、特に編集長の花山さん(唐沢寿明)が前面に出るようになってから、ぐっと面白くなってきました。唐沢さんの場を引っ張るパワーたるや!
ここ15年ほど朝ドラを見続けてきましたが、後半で見違えたケースは初めてかもしれない。
結果論だけど、前編をかなり短縮して雑誌社時代にもっと尺を取っても良かったと思う。
もっと言えばタイトルにもなってる「とと(父)」要素はいらなかったのかもしれない。
“とと”は父代わり
とと姉ちゃんの由来は「(亡くなった)お父さん代わりのお姉ちゃん」。だけど、父は放送からわずか1週間ほどで亡くなってしまい、その後も写真での登場くらいしかありません。
半年にわたって放送される長丁場の朝ドラで1週間はかなり短いです。よほどのインパクトが無い限り忘却のかなたです。
肝心のヒロイン常子(高畑充希)が父親らしいところを見せた記憶もあまり残っていません。
いや、頑張って家族を引っ張ろうとして、ある程度結果は出していたし、後編、雑誌社立ち上げ後は社長になって一家の大黒柱になったことは間違いないはずなのに、父っぽさはあまり伝わってこなかったのが正直なところ。
最終回に現れた男性
最終回。オフィスで仕事をしているヒロイン常子の元にナゾの男性が現れます。
一瞬、お迎えが来たシーンのようにも見えましたが、夢の中での出来事。
花山編集長が亡くなった翌日の放送だし、ドラマ後編はもう花山編集長がガンガン前面に出まくっていたし、視聴者の印象は(少なくとも私の中では)花山さんしか頭の中に残っていない状態でした。
なので、夢の中の御仁を見て
「あ、花山さんが迎えに来た!」
と思ったものの、よくよく見ると服装がスーツ。花山さんより細身。ミカンをモミモミする手がクローズアップ。
「あっ!」
亡くなった”とと”(西島秀俊)じゃありませんか!
ラストにふさわしい父
そうですよね、「とと」姉ちゃんですもんね。ラストには”とと”=父を連れて来なきゃですね。
ただ、先にも触れたように印象の強さでは圧倒的に 花山編集長 > 父。
不意に現れた父も、ヒロイン常子が「とと姉ちゃん」と呼ばれていたことも、国民的ヒットを飛ばす雑誌社の社長だってこともこの日初めて知ったご様子。
これは、亡くなってから数十年間、娘のことを一度も見守ってこなかったことの裏返し?
いや、夢の中だからヒロイン常子の思考が生み出した幻影か。だとしたら、父に一度も報告をしなかったのかしら??
などと考えてしまい、感動的なシーンのはずなのに、感動することが出来ませんでした。
やはり、最後のあの場に立つのにふさわしかったのは、ヒロイン常子にとって心の夫とも言える花山編集長だったんじゃないだろうか。
なんといっても花山編集長(唐沢寿明)こそが「とと姉ちゃん」というドラマを見事に立て直した後編の大黒柱、父親的存在だったのだから。
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