ケミィが他界して10日が過ぎました。
カンタンなものですが部屋の片隅に祭壇を。素敵なお花もいただきました。
死の当日はただ呆然とするのみでしたが、葬儀の日は、自分でもビックリするほど涙と鼻水の大洪水。
ここ数年、人間のお葬式に何度か参列してもほとんど泣けなくて、自分は人としてダメなんじゃないか? と少し心配になったくらいでしたが、自分にとってケミィがいかに大きな存在だったかを改めて思い知らされました。
時折ふっと寂しく感じることはあれど、さすがに10日経って相方共々随分と落ち着きました。
ここで改めて、ケミィが亡くなった日の様子を記したいと思います。
ただし、ヘビーな内容なので閲覧注意です。
書こうかどうか迷いましたが、記憶が新しいうちに心の整理と後の反省材料に。
また、ケミィと同じように、飼い猫との突然すぎる別れを経験された方の文章をネットでいくつか読んで、私自身、少し心が救われた面もあるので、書き残すことに少なからず意味があると感じました。
では…。
亡くなる前日(4月8日)
夕食どき、珍しくケミィの食欲がありませんでした。
食べることが唯一にして最大の趣味!
ってくらい食いしん坊な性分で、ゴハンをあげる1~2時間前から鳴きわめいたり頭突きしてきたりアピールしまくるケミィの姿が見当たりません。
どこへ行ったのか探すと、衣装ケースの影からコソコソっと出てきました。
少し動揺しつつも普段のカリカリを与えてみると、全部平らげてくれました。が、ゴハンアピールが無かったのはやはり心配。
その日はもう動物病院は閉まっていたので、翌朝まで様子をみることに。
呼吸もいつもより少し荒い(多めな)感じで、深夜に何かを吐こうとして吐けなかったことが1度ありました。吐けないことは前にも何度かあったので、この時点ではそこまで大事にはとらえていませんでした。
翌朝(4月9日)
早朝、普段どおりゴハンアピールもあり、夜に比べてかなり元気になっていたように見えました。
呼吸の荒さもほぼ解消され、目も輝いていました。
この調子なら病院行かなくても大丈夫かな…、とも思いましたが、一時とはいえケミィが食欲を失うのは事件。
空振りでも良いやと、午前中に動物病院へ連れて行くことにしました。相方と二人で。
4月の動物病院は犬の注射のシーズン。諦めて引き返そうかと思うほどの犬たちが待っていましたが、翌日は休診日。覚悟を決めて待つことに。
待合室で待つこと約1時間半。診察室へ。
診察室(同日)
病院(というより未知の環境全般が)大好きなケミィなので、いつものように診察室を探検しまくってクンクンしては、机やカベや先生に熱烈スリスリアタック。
「昨夜調子が悪かったんです…」と言っても説得力ゼロのはしゃぎっぷり。
もちろん前夜に気付いた状況はすべて先生に伝えました。
聴診・触診・検温等々でも異常ナシ。
ケミィはビニールやひも等を好んで食べてしまうので(もちろん可能な限り対策しています)、何か異物を食べて引っかかっている?
ことも疑って伝えましたが、もしどこかで詰まっているならカリカリも吐いてしまう、とのことでそのセンも薄いだろうと。(ビニールやひも等はレントゲンに写らないそうです)
・血液検査
・レントゲン
・胃の炎症を抑える薬でしばらく様子を見る
の3つの治療案を提案され、少し悩みました。足下でクルクルはしゃいでるケミィを見て、一番軽い様子見策を選ぶことにしました。
※亡くなってすぐは前2つの選択肢を選んでおけば…と後悔しましたが、今となってはそれでも完全に防げたかどうかは分かりません。
その夜のわが家(同日)
お昼前に動物病院から帰ってきてからもケミィは元気そのもの。
晩ゴハンアピールもあり、19時過ぎにいつものカリカリを完食。
しかし、21時頃、急変します。
私と相方がテレビを見ている時、ケミィがいつものように何かを吐こうとするのですが、吐き出せません。
何度かトライするもやはり吐けない。次第に苦しい様子を見せながらジタバタ。
…これは変だ。時折悲痛なうめき声も上げたり、しばらく苦しみもがいた後、バッタリ倒れて動かなくなりました。目とクチを開けたまま…。
時間はよく覚えていませんが、おそらく2~3分ほどの出来事だったと思います。
ケミィが苦しむ最中、相方が必死で近隣の動物病院に電話をかけてくれていました(私はただオロオロするばかりで…)。
もう21時台。かかりつけの獣医さん含めてどこも時間外でつながりませんでしたが、市内で一カ所、診て頂ける病院とコンタクトが取れました。相方の行動力にひたすら感謝です。
驚き、戸惑い、絶望を感じつつある私と相方。抱き上げるとタコのようにグンニャリ曲がるケミィ。
なかなか捕まらないタクシーをなんとか捕まえて、すがる思いで動物病院へ…。
時間外の獣医(同日)
初めて訪れた動物病院。
家を出てから20分は経過していたと思います。
先生に診てもらった時には、すでにケミィは事切れていました。
解剖していないのでハッキリとした死因は分かりませんが、やはり何かをノドに詰めて窒息したのではないかとのことでした。
もし助かる手立てがあったとすれば、内視鏡検査ぐらいだろうと教えて頂きました。
話の流れで、午前中に病院に行った時の様子を伝えましたが、その時点で内視鏡検査の判断を下す獣医はまず居ないだろうとも。
それが事実なのか、悲しみに暮れる私たちを気遣っての気休めなのかは分かりませんが、そう言ってくださったことでかなり心が救われた気がします。
本来は時間外診療をしていない病院だったと思いますが、遺体への詰め物対応・霊園の紹介を含めて、この晩 診て頂けたことには心から感謝しています。
翌日、宝塚の動物霊園で葬儀を行い共同墓地に埋葬しました。
おわりに
ここまで読まれて、「あの時ああしていれば…」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
もちろん私たちも、ケミィの死の直後、いくつもの後悔や反省が押し寄せてきました。
老いや病状はもう少し段階的に進行すると思い込んでいたので、まさかその日のうちに死が訪れるなんて本当に想像できませんでした。
可能ならば時間を巻き戻したい。初めてそう思いました。
2カ所の病院へ行ったことは結果だけ見ると無駄に見えますが、私たち飼い主の心の負担を和らげるためには必要だったと思っています。
私たち飼い主が2人そろって家にいるタイミングもそう多くはないので、2人一緒にケミィの死に目に立ち会えたことは、後になって良かったと思える日がやって来るのかもしれません。
14年間ありがとう、ケミィ。
https://blog.hirara.net/kmy-bye20190409/
コメント
いろいろ書いて 削除して……
やっぱり こんなときは 言葉がうすっぺらく思えてしまいます。
ケミィ、ウチの初代モモと同じ場所で眠っているのね。
ヤツは2代目と違って猫好きだから お友達になってあげてね。
あそこ、景色いいけど、ちょっと遠いんですよねぇ。
なもんで 2代目は市内に居ます。
あ、夏にお詣りに行く場合は
蚊が多いですからお気をつけて(^_^;
ケミィ、ありがとね。
遊んでもらった記憶は ずっと ここにあるからね。
▼京太郎さん
こういうときの言葉ってなかなか難しいですよね。
京太郎さんを含めて知り合いのペットたちの訃報を目にしたとき
やはりなんと言っていいか分かりませんでしたから。
いざ当時者になるとお気持ちだけで十分、大丈夫です。感謝いっぱいです。
宝塚、たしかに気軽には通いにくいですよね。
お参りだけで送迎車をカジュアルに呼んで良いものか、
悩みそうです(^_^;
山田には心を開きませんでしたが、
動物病院の待合室で他の動物たちに興味津々だったケミィなので、
案外初代モモさんと仲良くできるかもしれません。
こちらこそよろしくです(笑)
読まさせていただきました。
難しいです。
状況が急変されているので、どうすることもできなかったと思います。でもその後のひららさんと相方さんのご対応は、素晴らしいと。
私の場合は、20年間生きたので、老衰で静に亡くなりました。死後18年経っても、元気な姿を想像してしまいます。
▼快夫さん
ありがとうございます。
たとえ診療時間内だったとしても動物病院まで走って5~10分。
あの状態ならそれでもダメだった気はしています。
自分自身に獣医知識があればあるいは…といったところでしょうね。
20年とは長生きでしたね!
ケミィでは叶いませんでしたが、ぜひ山田に…
いや、あまり高望みはしないほうが良いですね。
ひとまずケミィ越えを目指してくれればっ。
うちのわんこも宝塚動物霊園の奈良分院にいます。ケミィさんと仲良くしてくれていると良いなぁ。 いつも通りのブログが見れたので、勝手に良かったと思っています。
▼ひろぬさん
おお、奈良分院に納められてるんですね!
天国で仲良くしてくれると良いです。
御悔やみ申し上げます。自分も子どもの頃おばあちゃんの家にナナ子と言うメスネコが居ましたが中学生の時に亡くなりました。いつでもそばに居ることを忘れないで・・・
▼フグタマスオさん
ありがとうございます。
やはり子供の頃でも身近にいたねこが亡くなると寂しいですよね。
しばらくはケミィのことを忘れられる気はしないです。
本当に突然だったんですね。猫も人間と同じで何が起きるかは分からないですからね。14年間は長いようで短かったかと思いますが居なくてなってもケミィの事を忘れなければきっと天国で安心して成仏できますよ。自分の所も1992年から2005年まで13年間猫を飼って居ましたが今では安心したのか成仏しました。きっと天国で安心してると思います。今でも外で猫を見たら飼いたいな思いますが居なくなった時の辛さがあるので今は猫カフェで猫と遊ぶしかありません。本当にブログ再開して良かったです。また自分もコメントしていきたいと思うのでこれからもお願いいたします。
▼ハラちゃんさん
ありがとうございます。
ケミィもこれから天国でのんびり暮らしてくれたら
飼い主としても嬉しいです。
一度辛さを味わってしまうと、気軽に次のねこ…とは
なかなか進みづらい部分も分かりますので、
猫カフェ等で気楽に触れ合うのも良いですね。
改めてお悔み申し上げます。
ブログを読ませて頂きました、辛い日が続いて大変だったかと思います。
ウチは29年前(先日のご報告の時のコメントには間違って19年と書いてしまいました)
に飼っていた猫の事は未だに忘れてません。2年前に亡くなった母が最期を見届けて
くれましたが、大泣きしながら亡骸に言葉をいつまでもかけ続けてました。
北急開通後には箕面の本宅に帰る予定にしています、その時にカミさんと僕の夢
だった猫を飼う計画をしています、ひららさんのお別れを見ると辛いのですが、
飼ってみたいですね。
ブログ再開されて本当に安心しました、またコメントさせて頂きます。
▼TC:22615さん
ありがとうございます。
30年近く前のことでも忘れられないくらい
強く印象に残ってしまうのも分かる気はします。
亡骸に大泣きされたお母様…
今ならそのお気持ちとてもよく分かります。
>カミさんと僕の夢だった猫を飼う計画をしています
おお、それは是非かわいがってあげてください。
大変なことも色々ありますが、
それ以上に楽しい日々が待っていると思います。
グレーのきれいな猫ちゃんですね。
かわいがっていた猫が、突然亡くなってしまうのはとても悲しいことです。お気持ちわかります。でも、ご自宅で亡くなったことが確認できるのは飼い主さんとしては恵まれているとおもいます。
私は、4年ほどかわいがっていた地域猫がいました。場所は某町役場なのですが、人気者猫ちゃんでした。週1,2回の頻度で
会いに行っていました。去年台風19号が去ったあと、無事か確認しにいったときはとても元気にしていました。よかった、台風乗り越えたんだな、と。そして次の日も会いに行きました。しかしその場所にはいませんでした。その後も探したのにどこにもいなく。住みついていた町役場の人たちにも聞いたのですが、最近みかけないとのこと。私と同じく問い合わせしている人も何人かいたそうです。あれから半年、、、どこかで生きてるのか死んでるのかわからないのは、踏ん切りがつきません。でも、どこかで元気にしながら私のこと見守ってくれてるんだろうな、と思っています。
▼やまちゃんさん
優しいコメントありがとうございます。
自宅で死に目に立ち会えたのは当時はショックではありましたが、
外出から帰ってきたら知らないうちに死んでいたことも十分あり得たので
それを考えると良かったのかもしれませんね。
町役場のアイドルねこちゃん、台風も乗り越えたのに
突然いなくなってしまったとはかなり心配でしたね…。
無事どこかで元気に暮らしていますように願ってます。